ー植物性お菓子のことー
近年、健康や美容の観点からもはじめられる方の多い「菜食」ですが
それに伴って動物性不使用のスイーツも徐々に求められるようになりました。
はじめに
動物性不使用のお菓子とはどういうことかといいますと
・卵(膨らみ/独特のしっとりさ/美味しそうな色合い)
・乳製品(風味/コク/焼き上がり具合)
・虫由来の着色料(色褪せない鮮やかさ)
・ゼラチン(絶妙な凝固/滑らかさ)
これらの原料は一切使わずにお菓子を作る
ということです。
さらに
米粉に限定している場合は
菓子作りの作業性や美味しそうな香り
を大きく左右する
・小麦粉(つなぎ/香ばしさ)
の持つ性質にも頼ることができません
上記の素材は
どれもお菓子の世界では欠かせない
文字通り
「欠かすことができない=作ることができない」
ほど
重要な役割を担っています
代用品はありますが
厳密には
どれも完全な代用は不可能です。
特にゼラチンと卵の性質は植物には存在しません。
どれだけ近しい素材で組み立てても完全に同じものは作ることができません。
また植物性スイーツは一つとして基本レシピが存在しない世界ですから
すべて一からの構成になります
それでも私が作り続けるのは
世の中のあらゆる問題にたいして
「植物性」
に無限の可能性を感じているからです。
そのような非常に制限の多く
基本レシピさえも存在しない限られた中で
0からの試行錯誤と数え切れないほどの試作を重ね
再現性を高めており
終わりはなく
常により良いレシピ、技術、素材を
追い求めています。
お菓子作りをされる方はその難しさをよくわかっているため
「どうやって作っているの?」「よくできますね」
とおっしゃってくださることが多々あります。
もし秘訣があるとしたら"挑戦回数が尋常でない"
ことかもしれません(笑)
筋肉と同じで味や技術力の良し悪しに拘る成長度合いは
当然と言えばそうなのですが
やはり試作回数に比例します。
お客様にお金をいただく以上
「これでいっか」「こんなもんかな」
はありえず
100%〜まで完成させてはじめて
値段を付けて良いと思っています。
数回の試作ではその領域に到達することがないため
どうしても試作回数が必然的に増えていきます。
余談ですが
レシピはその昔
ノートを保管する際には鍵をかけられていた
「家宝」
でした。
シフォンケーキ考案者であるハリー・ベーカー氏の逸話では
彼は20年間レシピを公開しなかったことで有名です。
その仕事で生きていく人には
安売りすることのできない(知的財産)
配合比率と技術が詰まっているため
世の中にある"プロのレシピ"のほとんどは例外を除いて
「教えても良いレシピ」
または
「教えても真似できないほど高度な技術のレシピ」
を掲載していたり
肝心なコツは書かれていないことが通常ですが
プロの培ってきた作品が"物"となって世に出た時
私達はお金を出せば
いつでもその物語や技術を味わうことができます
それは体験としての価値になります
そうしたお金を払うことの意味を考えれば
誰でも販売ができる時代だからこそ
「家庭で誰もが作れるもの」
ではなく
「歴史と技術、努力の賜物」
にお金を使う人が増えたとき
真面目で誠実な仕事をする職人や
クリエイターの存在が
はじめて報われると考えています。
そして
動物性のお菓子が作られた頃も
今の私のように
苦労をしてきたシェフやパティシェがいました。
まだ言葉さえも認識されていなかった2008年頃に
はじめて「Vegan」という生き方に
出会った私でさえも
まだ未完成な分野の原点に立っている
実感があります
植物性食材だけで
従来の物を妥協なく再現or再構築していくことは
それほどまでに至難の技であるということが
少しでもお伝えできましたら幸いです。
ーさいごにー
まだまだ世間では
価値が正しく認識されていないために
一言で
「高い」
と言って敬遠されてしまう
「良いもの」がたくさんあります。
伝統文化や工芸品一つとってもそうです。
研究費や素材へのこだわりはもちろんのこと
「良い仕事は良い道具から」
という言葉の通り
使う道具などにも
拘ればこだわるほど
どうしても価格は通常に比べると高くなります。
しかし
個人で製造されている場合は特に
大量生産には絶対にできない繊細な物が作れます。
それは「想い」にしても同じです。
組織やグループに属さない分
日々、孤独の中だからこそ
「自分や自分の家族だったらきっと選ばない」
「自分が誇れないものを人に勧めない」
そういった真心を忘れずにいられます。
また
良い素材を使うことは
国内の良い生産者さんを応援することにも繋がります。
「持続可能」という概念が認識されつつある中
多少高くても信頼できる人から信用できる物を購入することが
すべての生命にとっての良い調和を育む
その意識を広め伝え続けることも
作り手の課題であると感じております。
大変な長文駄文を最後までお読みいただき
ありがとうございました。