自身のお菓子の販売のきっかけとなった
「ヴィーガンチョコテリーヌ」
(商品名:神が創造させた奇跡のチョコテリーヌ)
日本でまだ誰も同類の菓子を販売していないころ、奇跡的な経緯を経て販売までに恵まれました。
「菜の菓子 光 -HIKARI-」は商品化する中で
"人智を超えたところからもたらされる奇跡の具現化"
としか思えないような瞬間を幾度となく感じてきました。
そのことの体験と世の中で起きる奇跡との数々の出会いと共通点、想いをここに記述いたします。
ー「奇跡的なもの」が生まれる瞬間ー
ある朝、私はとても気分が良く上機嫌で目覚め
朝一番に「お菓子がつくりたい!」と直感で感じ数分後には
思うままキッチンに立ち、思うままに手を動かしていました
何のレシピもなく感覚的にただ思うままに....
そうして不思議な感覚と喜びに満ちた気分で出来上がったのは「チョコテリーヌ」と呼ばれているものでした
私は出来上がったチョコテリーヌのあまりの美味しさに自画自賛で
「この感動は私だけに与えられるものではない」
と、やはり直感的に感じ
ただ好きな人たちに喜びを共有したいという思いで周囲の方々にプレゼントをして召し上がっていただいていました
そして
チョコテリーヌを食べた何人もの方から「これ絶対売れるよ!」と言っていただいたお世辞を間に受け
トントン拍子で販売まで進み
販売に協力してくださった方々のお陰で大きなイベントでの出展も叶い
これまでに一人で数百個のチョコテリーヌを製造し続けたくさんの方の心に届けることができました
ここまで本当にすべての動きがただスムーズに流れていきました
まるではじめから決まっていたかのように
まるでずっと前からわかっていたかのように
そうです
私が一人で作った訳でも私が一人で販売をした訳でもないのです
(これが私が商品名に「神が創造させた」と名付けた所以です)
ーあらゆる「奇跡」の共通点ー
そして後に同じように
「自分以外からもたらされたとしか思えない体験」を至る所で目にすることになります
それは
好きなアーティストによる絵画、映画、アニメ作品は勿論のこと
特に
日本の伝統文化(職人技)、老舗店、企業など日本人の創造性が認められる場面では
認知度に関わらず往々にして目にする瞬間がありました
またそれらは
個人的な利益や、ただ一過性の流行りや需要といった狭い範囲ではみられず
逆に言葉にするのも困難なほどの人の心の繊細さや不思議な導きのある場面では顕著に現れていました
あらゆる世界で同様の奇跡が起きている…
つまり私が確信したことは
「人々や社会、世界に求められた奇跡は一人の人間が意図的に出すことができない領域にある」
ということです
しかし現実的な人間社会では、結果を先に読んでいます
ノルマがあり数字に追われている為
結果から逆読みして意図的に、作為的に「売れる物」をつくっていることが殆どです
そして
奇跡の素となる自然の摂理や人の心をないがしろにし
方法論やマーケティングといった人為的で思考優位の環境に慣れることで
ますます奇跡を生み出すことができなくなっていきます
(中には"奇跡的な物語り"を創作している販売者もいます)
それこそが結果的に
人々の心が歪み、世の中に破滅をもたらした大きな一つの原因であることを長らく感じていました
何故なら
「傲慢な欲求=結果」
を出す為に、不正やルール違反を行う組織や人物が出てくるからです
数字や結果の操作もあれば
本人の望まない方向へ間違った努力をすることもあります
自然界があるがまま
そのままの姿であるように
一人の人生も
この世の中で起きることも
すべての結果は
操作するものではなく、また、コントロールもできないものです
(コントロールしてしまった結果が今の社会です)
すべてのことは
「なるべくしてなった」
これが最も自然なことであり、人間がこの世の中と調和している唯一の状態
そして
生み出した側も受け取る側も互いに奇跡を感じられる唯一の「物(もの)」なのです
ー自分、他者、社会が調和するためにー
人々に心配や不安さえなければ
多くを求めず楽しさを優先すれば
嫌々に無理に大量に
物をつくる必要なんてどこにもなかったはずです
ストレスを溜めて
強迫的に追い込まれ
無理矢理にでも形にする
そのような気持ちでつくられたものを人様の体内に入れることに私は抵抗を感じます
また
そのような心持ちからはじめたことには一時的には良くても必ず後々、犠牲が生じます
それは「自分の心」や「家族の心」からはじまり
そして周囲の「人々」に波及し、やがては「社会問題」にまで発展します
勿論
私にも他の仕事で安定した収入を得なければならないという犠牲もありました
それでも私は
お菓子づくりで自分の魂を売るようなことだけはしたくなかったのです
それが自分にとっても人々にとっても、持続可能なことではないことを自ら裏付けてしまうからです
ー「人が自分らしく生きられる社会」は、「自然の摂理に調和した状態」ー
歩みは遅くとも数は少なくとも
大切なのは「想い」からうまれる「調和」
自分の役割(使命)、人々の協力、タイミングなど
様々な要素が合わさった「奇跡」によってうまれた自身のお菓子を通じて
ご縁をいただいた方が精神的な"気づき"を見出しまた新たな奇跡が生まれる
といった良い循環で回る日本社会の未来を願い今日も奇跡に繋がる試作を続けています